世界人権デーに自らの差別意識と向き合う

ふたつのエピソード

今日は世界人権デーなのだそうだ。

ずいぶん昔のことだけど、中学生の頃、同級生に聞いた話を書こうと思う。

経緯は知らないが、彼はその日、こたつに入ってくつろいでいるお父さんとお母さんの前で、被差別部落の人や在日韓国朝鮮人のことを悪しざまに言ったそうだ。

それを苦々しい表情で聞いていた彼のお父さんは、「そうか、じゃうちも被差別部落で朝鮮人だから、差別されてもしょうがないのう」。

びっくりして嘘やろ?と問い質すと、日ごろ優しい彼のお父さんは「いいや、本当じゃあ。でもそれでお前の何かが変わるんか!」とピシリと言ったそうだ。

「きっと両親は、差別的な言葉を平気で口にする息子にがっかりしたんだと思う」。

その日以来、彼はものの言い方を少し改めた。

この話を聞いて思い出したのが、先年他界された俳優の米倉斉加年さんのエピソードである。

米倉さんがモランボンのCMに出演されていた頃のこと。学校で何か言われたのだろう、娘さんが学校から帰ってくるなり「うちって、朝鮮なの?」と聞いてきた。

その時の米倉さんは立派だった。おもむろに娘さんに向き直り、「ああそうだ、それがどうかしたのか」と言ったそうだ。

CM出演を決めたときから、彼はいつかこんなことがあると覚悟を決めていたのかもしれない。

被差別者とて差別者

でも人の差別意識というものは、本当に根深いものだ。

理不尽に差別される悔しさをよく知るはずの被差別者とて、自分の差別意識に向き合ったり、他人が差別される痛みに思い至るのは難しい。

大学生の頃、目をかけてくださっていた先輩がこんな話をしてくれた。

ある島で生まれ育った彼は、その島で生まれ育ったと言うだけの理由で、いろんな差別を受けてきたと言う。

日頃は明るい彼が絞り出すように吐いた言葉が、今でも耳に残っている。

「勉強ができなくて馬鹿にされるなら、それは俺の努力が足りなかったのだから仕方がない。でも島で生まれたのは俺のせいじゃない。そもそも島で生まれたことの何がいけないというのか」

でも、そのあとがいけなかった。彼が生まれた島からやや離れた小さな島の話になったときだ。彼はにこやかに言った。

「一緒にしないでくれよ、あれは古来罪人の島で、あの島で生まれた女と結婚するような奴はうちの島にはいないよ」。

きっと彼の中では、先ほどの発言と矛盾していないのだろう、そう思いながら心の中で「先輩、今の話は聞きたくなかったです」とつぶやいた。

子供の人権感覚を育てるには

本を読む習慣や、体を動かす楽しさや、誰かと力をあわせること。四季折々の変化を楽しむことや、自らのルーツに想いを致すこと。何かを苦心してやり遂げたときの一段階パワーアップした感じ。子供たちに教えてやりたいことはたくさんある。

人権感覚豊かな人になってほしい、とも思う。これは言ってはいけない、という事柄を知識として知っているというのではなく、感じる人であってほしい。

ただ、私の個人的な考えでは、子どもたちを導くというよりは、無意識に子供たちを毒さないことに留意するほうが肝要。自分の中の無邪気な差別意識に気付いていないのは、くだんの先輩だけではないはずだ。