坊主憎けりゃ坊主の定義も変えてよいか?

日本経済新聞2月11日NIKKEIプラスワン・親子スクールが『米国の大統領令って何?』という話題をとりあげていました。

『憲法は大統領の幅広い権限を認めているの。大統領が出す命令、大統領令って法律と同じ力を持っているわ。』

『そもそも米国では法律を作るのは議員の仕事で、大統領じゃない。だから法律を作るには議会にお願いするしかないの。』

『議会は大統領令を覆す法律を作れるの。また、最高裁判所が「この大統領令は憲法違反」と判断すれば無効となる。トランプ大統領の思い通りになるかはわからないわ。』

『米国の憲法は、人は皆平等に扱われることを保証している。トランプ大統領によって、その価値観が揺らいでいるのよ。』

私が一読者として感じたことは、子供向けの記事だからこそ、なぜ大統領令が合理的なものとしてこれまで維持されてきたのか(権力分立がどうデザインされているのか)、その背景を語るべきではなかったか、ということでした。

記事は、アメリカ型の大統領制が、立法権と行政権を厳格に独立させるものである点を強調し、大統領令が立法権を侵しかねないことを匂わせるものの、説明は「大統領令という決まりがあってね…」から始まっており、大統領令の正当性の根拠がどこにあるのかという、より根本的な部分には全く触れていなかったからです。

アメリカ合衆国大統領は、形式的には選挙人による間接選挙で選ばれますが、有権者自身は大統領を選んで投票しているわけで、その結果、大統領は直接的に民意を代表する存在といえます。この点、議会の信任に依拠する議院内閣制が、民意を間接的に代表するのとは異なっている点に言及することは不可欠だったと思うのです(直接的に民意を代表する大統領と議会が併存するアメリカ型の統治機構は、権力の委任関係が二元的で、より複雑ということもできましょう)。

では、なぜこの記事がそうした説明をしようとしなかったのか。理由は三つ考えられます。

ひとつは、子供には難しすぎる説明になってしまうから(よく言い訳に使われるフレーズですね)。

しかし、統治機構というのは、権力分立をいかに図るかをもっとも重要な関心としてデザインされているものです。そこの説明を省略しなければ子供が理解できないなら、最初からこの記事は企画倒れだったということになります。

ふたつめは、執筆者の統治機構の本質についての理解が浅かったのではないかということ。

日頃、民主主義だの民意だの言っていても、政治指導者の権力と主権者の信任との関係に重きを置いていないことがバレバレな感じがします。

みっつめは、トランプ並びに彼が発する大統領令の危険性を強調したかったから。

たしかに、大統領令が乱発されることの危険性は否定しません。ただ私は、どんな理由があっても、批判能力のない子供に政治的意見を吹き込む輩には怒りを覚えます(「親子スクール」欄の趣旨にも合致しないはずです)。

こういう姿勢の人や団体を見るにつけ、フェアトレードとか反差別とか、世間はフェアであることを重視しているようでいて、自らはフェアであろうという気運が低い気がしてならないのです。