二・二六事件と「弱みは強み」

今日(2月26日)は、息子の誕生日であるとともに、昭和史屈指の重大事件である二・二六事件の勃発した日です。

そこで今日は、二・二六事件で用いられた機関銃を題材に、「弱みは見方を変えれば強みだった」というお話について書いてみます。

二・二六事件を主導した22名の士官らは、1,500名の下士官・兵を従えていました。

彼らの多くは歩兵銃を携行しており、分隊ごとに十一年式軽機関銃一梃を装備していました。また、首謀者のひとり栗原中尉の率いる部隊は、当時最新式の92式重機関銃八梃を持つ機関銃中隊でした。

日本陸軍が試行錯誤の末、はじめて制式化した十一年式軽機関銃には、初速が遅く、弾が直進しないという重大な欠陥がありました。

これはもう、文句なしの弱みなのですが、この特性を逆手にとると、なんと地平線の向こうに隠れている敵をなぎ倒すという離れわざが可能になる強みに変わるのです。

他方、太平洋戦争全期間を通じて使用された優秀銃である92式重機関銃にも、見逃せない欠点がありました。

連射速度が異様に遅く、米軍側から「何発撃ったか数えられる」と笑われていたそうです(機関銃といえばダダダダ…というイメージですが、92式重機はボッボッ…という感じ)。体格の劣る日本兵には負担となるくらい重いという欠点もありました。

この弱みもまた、見方を変えれば強みだったのです。
連射速度が遅いため、銃身がオーバーヒートしにくく、二挺で強力な火線を長時間維持できました。また、連射速度が遅く、重いぶん、射撃時の動揺が少ないので、狙撃銃のような狙い撃ちに向いていました。

そういえば、スリーエム社の大ヒット商品「ポストイット」も、接着力の弱い欠陥ノリから生まれたと聞いたことがあります(ホントかウソか知りません。ポストイットの開発秘話にはいろいろなものがありますので)。

「強みは弱み」「弱みは強み」というのは、煎じ詰めれば「モノは使いよう」ということなのかもしれません。