繰り返す「何が問題なのかわからない問題」

『検事調書の余白』(朝日新聞社1993)は、元札幌高検検事長、元参議院議員の佐藤道夫氏(故人)によるエッセイ集。

NHKBS2では、柄本明主演でドラマ化もされました。

この中に、「天皇と検察」と題して、天皇機関説事件を取り上げた作品が収められています。

天皇機関説とは何か

天皇機関説は、当時のわが国の憲法学界における支配的学説でした。

ドイツの通説的見解である国家法人説を出発点に、「統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として統治権を行使する」と説いたものでした。

もちろん、これが通説となるまでの過程では、穂積八束・上杉慎吉らが唱えた天皇主権説(国家と天皇の関係について、国家の上に天皇が位置すると考える)との激しい論争があったようです。

天皇機関説事件とは何か

天皇機関説事件の発端は、昭和10年の貴族院本会議において美濃部達吉議員(東京帝国大学名誉教授)の天皇機関説が国体に背く学説であるとして非難されたことです。

美濃部は、この批判に対して、冷静かつ論理的に反論しましたが、野党政友会が、この問題を倒閣運動に利用したこともあって、大事件へと発展していきました。

この議論は、俗耳に入りやすく、世論も彼らに同調した。(前掲書)

そう、畏れ多くも天皇陛下を機械呼ばわりするのか!と憤った人々も少なくなかったのです(どこかで聞いたような話ですね)。

憲法学界の最重鎮であった美濃部は、天皇機関説の教授を禁じられ、『憲法撮要』など著書が発禁となったばかりか、不敬罪で告発され、取調べをも受けた挙句、ついには貴族院議員を辞職せざるを得なくなりました。その翌年には右翼暴漢に銃撃され重傷を負う悲劇にも見舞われます。

天皇機関説は世の中の常識だった

天皇機関説事件については、中高生の頃、日本史の教科書に出てきたので、知ってはいましたし、事件の意味するところが「表現の自由が危機に瀕した時代の幕開け」であったことも理解していたつもりです。

でも、「わが国の統治機構について尋ねられたら、法学生や実務家の大半が、この説に則って論じるであろうほどの支配的学説、つまり世の中の常識であった」のだというニュアンスは、教科書からは伝わってはきませんでした。

私は、美濃部が、当時支配的であった天皇主権的見解に異を唱えたことで社会的に葬り去られたとでもいうようなイメージでこの事件を捉えていたのです。

以下は、前掲書からの引用です。

当時の学生は、博士の学説を学び、理解したうえで高文試験(注:高等文官試験)に合格し、エリート官吏の道に進んだ。判事、検事も、その点は全く同じである。(中略)

法律家である検事には、天皇機関説が犯罪を構成するものでないことは、誰よりもよく分かっていたはずだ。告発は、直ちにその理由で不起訴にすべきものであった。

が、検事はそうしなかった。半年余り時間をかけて世の風向きを眺めたうえ、容疑を認め、学説の撤回と公職の辞任を条件に、博士を「起訴猶予処分」に付した。

何が問題なのかわからない問題は繰り返す

いまの世の中でも、問題であることがスルーされ、問題でないことが大事件として取り上げられる現象は続いています。

しかも、ある人には問題であることが、別の考えを持つ人(あるいは対立する陣営に属する人)にとっては問題でなかったり、その逆であったりというようなことが毎日のように繰り返されています。

どちらが正しいか一概にいえないにせよ、

それがたとえ自陣営に属する人の振る舞いであっても問題である(問題でない)と思うか?

問題があるとして、その非難・追及の程度は、問題の程度とバランスが取れているか?

この二点の思考実験を欠かしてはならないといつも思っています。

そして、たとえそれまで普通に通用していたことでも、突如問題だと書き立てられ、それが燃え広がったときには、美濃部ほどの知識人が説得的な反論を試みても、事態を沈静化させることはできなかったのだということも覚えておきたいものです。