指揮官の悪い部隊は全滅する

鶴岡親分が遺した二番目に有名な言葉

日本プロ野球史上屈指の名監督と言われる鶴岡一人氏は、南海ホークスを「常勝南海軍」と呼ばれる強豪に育て上げ、いまなおプロ野球史上最多勝・最高勝率を誇る人物。

彼が遺した言葉でもっとも有名なのは「グラウンドにはゼニが落ちている」だが、二番目に有名なのが、本稿のタイトルに選んだ「指揮官の悪い部隊は全滅する」である。

大正五年生まれの彼の青春は、不幸にも戦争に彩られたものだった。

東京六大学リーグのスター選手であった彼は、「どうせ兵隊にとられるのなら、せめてそれまでは好きな野球がしたい」と、当時賤業(神聖な野球を金儲けの手段にするのは言語道断との見方が強かった)とされたプロ野球に身を投じたのだ。ほどなくプロの世界でもスターとなり、数々のタイトルを手にした鶴岡だったが、支那事変が泥沼化する中、昭和15年に応召、五年の長きにわたって軍隊生活を過ごした。

しかし、この体験は、鶴岡のその後の監督人生の大きな財産となっていく。

貴様は穴掘りをせんでよろしい

近藤唯之著『逆転の名言 勝負師・この一言』に概略以下のような記述があった。

戦争末期、鹿児島の知覧で高射機関砲部隊の中隊長として、二百名の部下を指揮していた頃のこと。兵隊の中に帝大卒の者がいて、鶴岡はその若者を「帝大、帝大」と呼んでかわいがり、彼の数学的素養に目をつけて、専ら対空射撃時の未来修正量の計算をさせるようにした。

インテリに計算をさせることぐらいは誰でも考えつくが、鶴岡のえらいところは、「おい帝大、貴様は穴掘りをせんでよろしい。その代わり、弾が当たる計算をしてくれ」と持てる資源(ここでは専門性を伴ったマンパワー)の配分を明確に示したことである。小隊長や古参の下士官らへの遠慮を優先する士官なら、「穴掘りもせよ」とどっちつかずの指示をしたかもしれない。

戦後、球界にカムバックした鶴岡は、選手兼監督として、この「部下たちそれぞれの持ち味が生きる働き場所を与える」姿勢を貫いたのだった

「指揮官の悪い部隊は全滅する」

昭和37年、南海はシーズン序盤から振るわなかった。鶴岡は「指揮官が悪いと部隊は全滅する」の名台詞で休養を発表した。

片腕と頼む蔭山和夫ヘッドコーチは、代理監督として勝率6割3分の好成績を挙げ、鶴岡も8月には晴れて監督に復帰した。シーズンが終わってみれば、全滅どころか、首位東映と5ゲーム差の2位だった。

経営者が見失いがちなこと

経営者や管理職の中には、自分がよそで「いい顔」をすることを優先する人たちもいる。

そういう人たちは、そのときどきの情勢に対処することに精一杯で、部下の持ち味を把握することや、その持ち味を生かす術を考える余裕はないのであろう。

でも本当は、持ち味が生かされてこそ人はやる気が出るし、梁山泊を引き合いにだす(ゴレンジャーでもよい)までもなく、いろんな得意分野を持ったメンバーを擁する組織は、そうでない組織より強い。

鶴岡が親分と慕われ、球界で成功を収めたのは、侠気があって面倒見が良かったことや、「グラウンドにはゼニが落ちている」と選手を動機付けたことだけが理由ではなかったのだ。