「一歩踏み出そう」というけれど…

ある英文学者の回顧談です。

若い頃、英国に留学した彼は、尊敬する教授の下で、充実した研究生活を送っていました。

一年が経った頃、教授が彼にふとこう言ったのです。

「これからは僕を〇〇〇〇(教授のファーストネーム)と呼びたまえ。」

謹厳な英国紳士である彼のその言葉は、初対面でも同じことが言えるアメリカ人のそれとは違う。それだけ親しみを覚えてくださったのだろう。彼は光栄に思いました。

しかし、いくら英国通でも、流暢な英語が話せても、そこは日本人。「長幼の序」みたいな感覚が邪魔して、尊敬する教授をファーストネームではついぞ呼ぶことができなかったのです。

いま思うと、と彼は振り返ります。

『あの時、先生をファーストネームで呼べていたら、僕らはきっと「肝胆相照らす仲」の親友になれたのだと思う。先生はその後も変わりなく熱心に指導してくださったけれど、二度とファーストネームで呼んでくれ、とは仰らなかった。以来、帰国するまで、僕らは指導教授とその弟子という関係でしかなかったんだ。』

自分から一歩踏み出して近づかなければ、チャンスは二度とめぐって来ないことがあります。

反面、一歩近付くにも相手に合わせたやり方とタイミングというものがあり、それを間違うと、ボタンは掛け違ったままになる。そんな教訓話です。