自分の四つの転機を振り返ってみた

昨日、54回目の誕生日を迎えました。

SNSやメールでも、友人知人のみなさんからお誕生日メッセージを多数いただきました。ありがとうございました。

娘には「お誕生日おめでとう。いちばんプレゼントされたいのは、若さ?」と言われました。当たりです。

先日、同年輩の方とお知り合いになったのですが、その方は「残り少なくなったサラリーマン人生、次のステージに進むために、これまで自分が取り組んできたことを振り返ってまとめてみたい」とおっしゃっていました。

それは、とてもよい考えだと私も思いました。そこで、彼に倣って、自分の転機になったのはいつかを振り返ってみました。

私の転機は少なくとも四つあった

一つ目は、大学一年のときに、早くも留年したことです。

愚かにも、19歳の若さで人生にハンデを負ってしまいました。以降、「この周回遅れをどうやって取り戻すか」がいつも頭の片隅にあったように思います。

二つ目は、司法試験に取り組んで挫折したことです。

幸い短答試験には初受験で合格することができましたが、あと二年間、毎日休まず10時間以上勉強できるかと自問して得た答えはノーでした。

学年末試験のため、久しぶりに登校しようとしたら、ズボンのサイズが合わなくて困った(知らぬ間にウエストが10センチくらい細くなってた)ことと、論文試験のときが猛暑で、試験官の女性が試験中に気を失ったことだけよく覚えています。

考えてみると、そもそも留年していなければ、司法試験に取り組んでいなかったような気がします。

三つ目は、勤務していた会社のお陰で、ビジネススクールに通うことができたことです。

二年間、まったく仕事から離れて、能力も見識もある人達に混じって学んだことは、一言では言い表せないような自分のバックボーンになっていると感じます(強いて言うなら、論点把握力とか、「目的は何か」と問い続けるものの考え方が磨かれたと思います)。

四つ目は、不動産鑑定士を目指すために食品メーカーを辞めたことです。21年前のことでした。

背水の陣で不動産鑑定士二次試験に臨んだ5か月間は、自分の人生の中で最も健康で、規律正しく、充実した時間だったような気がします。すでに三十路でしたが、勉強するとはこういうことかと、ようやく理解した気分でした。

大学生の頃は想像できなかった生き方

学生時代、行政法のゼミに所属していて、夏合宿で通産省編『21世紀産業社会の基本構想』という冊子を輪読しました。

内容は大半忘れましたが、「今は学校を出て就職したら、定年退職するまで、その会社に勤め続けるのが当たり前だが、より高度な産業社会に脱皮するには、キャリアアップのために仕事を離れて学ぶ時間を確保し、次はワンランク上の仕事に取り組むような生涯学習設計が大事になる」というようなことを書いていて、ちょっとショックを受けました(自分は定年まで同じ会社に勤めるつもりだったので)。

大学を出てからの私の人生は、結果的には、『21世紀産業社会の基本構想』に書いてあったような生き方に見えます。

私が辿った道がキャリアアップだったのか、はたまたキャリアダウンだったのかはわかりませんが、いろんな方の援けやご厚意があって今があることは間違いありません。ありがたいことです。

ようやく気付いた自分のテーマ

本格的に不動産鑑定の世界に入って、今年で20年となりました。

じつは、最近になって(先々週のことです)、ようやく自分の取り組むべきテーマに気付きました。

それは目新しい着想ではなく、これまでも半ば意識的、半ば無意識的に指向してきたことだったのですが、それが自分のテーマとは気付いていませんでした。そのテーマとは何か。ご紹介できる機会があるかもしれません。

さきほど、「背水の陣で不動産鑑定士二次試験に臨んだ5か月間は、自分の人生の中で最も健康で、規律正しく、充実した時間だった」と書きましたけれど、つらかったはずの日々が希望に満ちていたのは、若さもあるでしょうが、不動産鑑定士になって、プロフェッショナルとして自分の持つ力を振るってみたい、という明確な目標があったからに違いありません。目標やテーマは、その当否よりもまず、あることに意義があるのです。自分の時間を充実したものにするために。

次回は、最近気付いた自分の取り組むべきテーマに関連し、どのようにして自分のテーマに気付いたか、について書いてみます。

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