私選・初心者にオススメしたいジャズヴォーカルの名盤3選

ずいぶん前のことですが、ラジオ番組で「歌を歌うときに、どのように情感を込めるのですか?」と問われた歌手の高橋真梨子さんが、大要こう答えていました。

『楽曲の情感やニュアンスは、メロディと歌詞がもともと備えているもの。私たち歌手のつとめは、楽曲が持つ魅力をきちんと伝えることだから、ピッチ(音程)と歌詞を正確に、と心掛けている。』

「素直に歌う」という、歌手の唯一最大の、そしてほかの誰にも真似できない使命について、これほど率直に(しかも確信を持って)語った言葉をほかに知りません。

残念なことに、私たちが「素直に歌う魅力あるジャズ・シンガー」に巡りあうことは、簡単ではありません。ジャズ・ヴォーカルの世界では、歌手が「情感をこめる」「独自の解釈を示す」「ちょっと違ったニュアンスを加える」ことをよしとする風潮が根強いからです。

その風潮をつくりだすもとになったのは、ビリー・ホリディというひとりの天才的な黒人女性歌手ではないか、と個人的には思っています。

ビリー・ホリディは、「電話帳を読んでも最高の歌にしてしまう」とまで言われたジャズ・シンガー。独自の優れた解釈と歌唱力で数多くの革新的な唱法を生み出しました。彼女は、つまらない流行歌ですら、独創的なフレージングで魅力的に歌い上げたとされます(注1)。

でも、それは彼女なればこそできたこと。天才にしか許されないことを凡人が真似しても、よい結果を生むことは少ないのではないでしょうか。

(注1)ドラマチックな生涯も相まって、彼女の信奉者は少なくありませんが、私自身はいまだ「ビリー・ホリディの魅力」をよくつかめないでいます。彼女の歌のよさは、ある程度の人生経験を重ねないと理解できないとも聞いたことがあります。なお、前掲の「奇妙な果実」(Strange Fruit)は、人種差別をテーマにした彼女のレパートリーとして有名な歌です。

そこで今回、初心者にオススメしたいジャズヴォーカル作品を選ぶに当っては、「素直に歌う魅力あるジャズ・シンガー」であることを第一義としました。

三大ジャズ・ヴォーカリスト(注2)と呼ばれるサラ・ボーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレエの三人や、大御所中の大御所フランク・シナトラを選ぶ、という行き方もありましょうが、個人的には以下に掲げた三作のほうが初心者にとって「消化がよい」と判断しました。いずれも、日頃私自身が繰り返し聴いて、飽きのこない作品であることを付け加えておきます。

(注2)サラ・ヴォーンは、「ジャズヴォーカルの女王」とも呼ばれる人気・実力ともに最高の黒人女性歌手。これ以上巧い歌手はいないかもしれませんが、私にはいささかトゥーマッチに感じられることもあります。エラ・フィッツジェラルドはサラ・ヴォーンと双璧の人気を博した黒人女性歌手。巨躯ながらキュートな魅力に溢れ、個人的には三人の中でいちばん好きです。カーメン・マクレエは、コケティッシュな魅力に乏しい(私見です)ものの、知的な魅力のある黒人女性歌手。三人の中ではいちばん美形です(私見です)。

Dinah Shore / Yes,indeed!

ダイナ・ショアは、純粋なジャズ・シンガーではありません。『アメリカの美空ひばり』とでもいうべき、ポピュラー音楽界の大御所です。
美空ひばりが、民謡も、演歌も、ジャズも、ロカビリー(「真っ赤な太陽」)も見事に歌いこなしたように、ダイナもまたきわめて優れたジャズ・ヴォーカル作品を残しています。
トゥーマッチな感じは微塵もなく、聴き手をしなやかに、自然に歌の世界に引き込んでいくような演出力と歌唱力。このアルバムでも、本職のジャズ・シンガーも黙る上手さを見せつけてくれます。後掲の「わが恋はここに」(our love is here to stay )も見事ですが、白眉は「Where or when」からはじまるメドレーでしょう。

 Ann Burton / Blue Burton

アン・バートンは、オランダのジャズ・シンガー。アメリカでは無名、母国でも歌手では食べていけず、エレベーターガールをしていたと聞きます(私の記憶違いだったらごめんなさい)。
ところが日本では、来日のたびに大ホールを満員にし、日本制作のアルバムが発売される大人気。耳のよさでは世界随一の日本のジャズ・ファンは、歌詞とメロディを大切にしつつ、温かみのある声で素直に唄う彼女を、無名のまま放っておきはしなかったのです。

彼女のひたむきで温かい歌声を聴くたび、よくぞこんな素晴らしい歌手を応援し、育ててくれたものだ、とわが国のジャズ・ファンの先輩たちに感謝するとともに、同じ日本人として誇らしい気持ちになります。

後掲「捧ぐるは愛のみ」(I Can’t Give You Anything but Love)は、このアルバムを代表する名唱であるとともに、彼女が世に出るきっかけをつくった作品でもあります。

余談ですが、自身もジャズヴォーカルを披露することもあった俳優の藤岡琢也さん(故人)が、かつてこう語っていました。「日本語タイトルのついたジャズ・スタンダードは数あるけれど、『捧ぐるは愛のみ』というのは、じつに素晴らしいタイトルだと唸らされるよね」。まったく同感です。

John Coltrane And Johnny Hartman

ジョニー・ハートマンは、クルーナースタイル(低音でささやくように情緒をこめて歌う)の黒人男性歌手。まるでベルベットのようなジェントルな低音と端正な歌唱で、多くの女性ファンをとりこにしました。(⇒演奏を聴く

このアルバムのもうひとつの聴きどころは、絶頂期のジョン・コルトレーン・カルテットが伴奏をつとめていることです。ジョン・コルトレーンは、いわばジャズ界の「楽聖」ベートーベンのような人。アルバムタイトルからうかがえる通り、この作品はジョニー・ハートマンの作品というより、ジョニー・ハートマンを全編にわたってとりあげたコルトレーン作品というべきもの。コルトレーンの演奏も十分楽しめます(注3)。

(注3)ファンの方に怒られるかもしれませんが、個人的には、コルトレーンにはいささか艶や華に欠け、クドい印象を持っているのです。でも、本作でのコルトレーンは、彼らしさを失わず、かつ素晴らしいものです。

John Coltrane And Johnny Hartman