大岡裁きと安保論議

『花も実もある大岡裁き』とは

『花も実もある大岡裁き』という言葉があります。

杓子定規に片付けては、不当な不利益を被る者があるとき、筋が通っていて(法システムから逸脱することなく)、通常人の判断に照らして納得のいくような判断のことをいうのだと思います。いわば、「花」は理論的整合性や法的安定性、「実」は具体的妥当性を意味すると考えることもできましょう。

講談やテレビドラマで知られる大岡忠相(大岡越前守)や遠山景元(遠山の金さん)の「花も実もある」名裁きは、多くは創作といわれますが、彼らが実際にきわめて有能であり、江戸町奉行として幕政に絶大な貢献を果たしたことは事実のようです。

江戸町奉行は、いまの世でいえば、東京都知事、東京地方裁判所所長、東京地方検察庁検事正、警視総監、消防総監を兼ねるような、たんに庶政一般をみる行政官とはいえない重職でした。

それゆえ、家柄がものを言った江戸期の侍社会の中で、江戸町奉行は例外的に能力本位で登用されたともいわれます。将軍吉宗が山田奉行だった大岡を抜擢したエピソード(注1)は有名ですし、遠山景元はときの老中首座(いまの内閣総理大臣に相当か)水野忠邦と対立しつつも、将軍家慶の覚えめでたかったとされます。

安保論議の「花」と「実」

花=理論的整合性・法的安定性、実=具体的妥当性だとすると、かまびすしかった安保論議の主要な争点は、「花」にあるのでしょうか。それとも「実」にあるのでしょうか。

賛成派は花の美しさに乏しい点を認めつつも、実のあることを評価します。反対派は、花のなさを激しく批判していますが、実があることを認めているわけではありません。むしろ反対派の真意は、実がないどころか、害があるから、絶対に阻止しなければならない、というところにあるようです。つまり、ほんとうの争点は、花があるか否かではなく、実があるか否かであったわけです。

それにもかかわらず、立憲主義の危機、憲法違反という「花」の次元の理屈のみが先行した理由は、何でしょうか。それが憲法論という規範的学問の世界での現象なら理解できます。しかし法学徒でもない人々までがそれに倣ったのはなぜか、いささか疑問に思っていました。マキャベリスト的言説と言ったら言いすぎでしょうが、「実証的次元で実があるか否かを論じることは、安保論議を前に進めることにつながるので、それに与することはできない」から、とも考えられます。

 大岡越前は法的安定性をどう捉えたか

安保論議をめぐっては、「法的安定性」という、あまり耳慣れない言葉がさかんに飛び交いました。まるでそれが絶対不可侵であるかのように。

しかしながら法的安定性は、具体的妥当性との両天秤にかけ、バランスをとってこそ意味があります。法的安定性だけが強調されると、個別的事情や具体的妥当性が無視され、「花はあっても実はない」事態を招きやすいし、逆に具体的妥当性のみを強調すれば、恣意的な法運用がなされるおそれがあるからです。法的安定性に絶対的価値などなく、法的安定性・具体的妥当性のいずれに重点を置くべきかは、一概に決めつけられないということです。

大岡越前に話を戻します。

じつは大岡は、法的安定性に反する解釈運用をしていたといわれます。ときには牽強付会な事実認定・あてはめも辞さなかったと。
それでも庶民が大岡裁きに喝采をおくった理由は何か。法の不備がひとびとの生活を脅かしているときに、その脅威を取り除き、庶民の生活を守ったからだと思います。

大岡裁きを再評価するなら、やはり花と実の両方の視点で論じる必要があると思うのです。今後の防衛法制整備も、かくあることを望みます。

(注)紀州藩領と天領の農民の間にかねて諍いがあったところ、歴代山田奉行は、紀州家の威光を恐れ、問題を先送りしてきました。ところが大岡忠相は、これに果断な裁定を下し、紀州家の恨みを買うことになったのです。その後、紀州家から吉宗が将軍になったことで、忠相も何らかの報復人事を覚悟したかもしれません。しかし結果は、江戸町奉行への大抜擢でした。紀州家の威光を恐れず、果断な裁定を下した忠相の胆力と信念、高い実務能力を、吉宗は密かに高く評価していたのでした。

裁判所