終戦の日に・戦争に学ぶべき5つのこと

あすは終戦の日です。個人的には、思想的・政治的思惑抜きに、亡くなった方に思いを馳せることに専心するのがもっともよいと思うのです。でも、あえて戦争から学びを得るとしたら、次のようなことかな、といくつか挙げてみました。

その1:大本営発表はかえって戦況を悪化させる

太平洋戦争末期、大本営は、台湾沖航空戦において日本海軍が「航空母艦11隻撃沈、航空母艦8隻撃破」の華々しい戦果を挙げた、と報じました。

これは実は誤報であり、我がほうが航空戦力を著しく消耗したこととひきかえに得た戦果は、のちに「いかに多くとも数隻程度」と判明したのです。

しかし、大本営発表も、昭和天皇への上奏も終えていた海軍は、この事実を国民に知らせなかったばかりか、陸軍にも通知しませんでした。そのため陸軍は、アメリカ海軍の空母航空戦力が壊滅した前提でフィリピン決戦の準備を進めました。その結果、フィリピン方面に投入された陸軍部隊は、壊滅したはずのアメリカ機動部隊の攻撃で甚大な被害を被り、作戦が失敗に終わったばかりか、兵力抽出により沖縄守備隊の戦力を低下させる原因になりました。

都合の悪い情報をかくしてひとを欺こうとすると、味方の判断や行動を誤らせ、もともと都合の悪かった現実を一層悪化させてしまう、という教訓です。

安保法案に反対するデモの参加者数は、主催者発表と警察発表に10倍以上の差があることが知られていますね。どちらがいわゆる「大本営発表」なのか私は知りませんが、大本営発表が望ましい結果を遠ざけてしまわないことを祈りたい気持ちです。

その2:都合の悪い情報は軽視される

畑村洋太郎先生が提唱する「失敗学」という学問分野があります。失敗そのものを分析し、原因を究明し、成功へのヒントとして生かそうというものです。
しかし、失敗に学ぶ意義を否定する人は少ないとしても、失敗に学ぶことは、じつはそれほど簡単ではありません。失敗は、都合の悪い情報だからです。

太平洋戦争の大きな転換点となったミッドウェイ作戦の兵棋演習(図上シミュレーション)では、攻略作戦の最中に米空母部隊が出現し、日本の空母に大被害が出て、攻略作戦続行が難しい状況となったといいます。そのとき、宇垣纏連合艦隊参謀長は「そんなはずはない」と何度も被害判定を修正させ、沈没したはずの空母を復活させたりしたそうです。しかし、史実はほぼ、修正前の兵棋演習のとおり、日本海軍は虎の子の正規空母4隻と多数の熟練搭乗員を失い、以後それまでの快進撃が嘘のように防戦一方となったのでした。

多くの悲劇を生んだソ連対日参戦も同様です。日本政府は、日ソ中立条約を頼みに、ソ連を仲介役とする連合国との外交交渉に望みをつないでいましたし、ソ連と直接対峙する関東軍はさらに悠長に、「ソ連参戦はまだ先」と認識していたのです。それはなぜか。「我が方の作戦準備がまったく整っていなかったから」。自分に都合の悪いことは起こらない、という希望的観測は、ソ連参戦の兆候を示す情報をことごとく無視させてしまいました。

優れた経営者は、よくない報告が上がってきた時、決して怒ったり、報告者を責めたりしません(逆に、報告がなかったことがわかれば、厳しく処断します)。それは、都合の悪い情報ほど、得るのに努力と信念が必要であることをよくわかっているからだと思います。

その3:相手と口をきかない、と決めてしまうと、もはや対話は成り立たない

支那事変勃発の翌年、驚くべき政府声明が出ました(第一次近衛声明)。爾後国民政府・蒋介石を「対手とせず」というのです。

戦争はどこで終わり、次にどうするかが重要。支那事変は国民政府を相手とする「 宣戦布告なき戦争」ですから、当然どこかで両者が和平交渉のテーブルにつき、戦争をどう終わらせて、戦後処理をどうする、と話し合わなければなりません。近衛声明は、そのチャンスを奪ってしまったのです(近衛自身は、この発言を「失言だった」とのちのち悔いていたそうです。)。

国民党政府は、さらにわが国の要求を全面的に呑む和平案をも示してきました。それを一蹴したのも近衛。わが国は、引き返す機会は何度もあったにもかかわらず、最も有利な和平のチャンスを自ら捨て、泥沼のような終わりのない戦争に突き進んでいったのです。

対立する論者を「バカ」「頭がおかしい」「無知」と決めつけてしまえば、対話はたがいの罵り合い以上の意味をなしません。「前門の虎」との建設的な対話をもって対立にけりをつけ、ともに「後門の狼」にあたる、というのが兵法というものではないでしょうか。「国共合作」のように。

その4:異なる意見を持つものにはレッテルが貼られる

戦前から戦中にかけて、共産主義者・社会主義者は「アカ」「国賊」と呼ばれ、弾圧されました。のちには自由主義者までもが「アカ」と呼ばれ、迫害されたといいます。「アカ」のレッテルは、思考停止をもたらし、共産主義・社会主義・自由主義の何たるかや、その思想や行動の是非をこえて、人々に「恐ろしいもの」「得体のしれないもの」という印象をうえつけるのに極めて効果的な手法なのです。

筆坂秀世氏も指摘しておられる通り、歴史的に「アカ」のレッテル貼りがいかに卑劣で不正義であるかを知っているはずの政党が、「安倍はファシスト」「戦争しようとしている」とレッテル貼りに余念がないのは残念なことです。

まとめ:戦争観はアップデートしなければいけない

戦争のカタチは時代によって変わります。

日本陸軍は日露戦争で、主として白兵力によって旅順要塞を陥落させる世界史に残る大戦果を挙げましたが、その経験は大変洋戦争では役に立たなかったばかりか、むしろ仇になりました。

いつの時代も、戦争は莫大な浪費ですから、必要最小限の作戦努力で戦争目的を達成が志向されるのは当然です。国情によって違いはあれ、豊富にある資源が最大限活用されることになります。

かつて人の命を鉄砲の弾より軽く扱った国々がありました。わが国もその例にもれませんし、おとなりの中国もかつては「人海戦術」を得意としていました。さて、いまの日本と中国に豊富にある資源は何で、何に代えても大事にしなければならない資源は何でしょうか。

判断を誤らないためには、70年も前のわずかな体験・知識のみをもって「私は戦争を知っている」と思い込むことなく、戦争観を不断にアップデートしていくことが必要なのではないでしょうか。

 

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)